L・レアードのワーワー言うておりますけれども

日々思ったことを素直に綴りたい

なぜ学校に行くのか?~子供の適当な質問に真剣に返す~

子供と一緒に居ると

「なんで学校に行くのか、宿題をしないといけないのか」

とほぼ毎日のように言われる。

そして文句を言いながら宿題を進める子供達。

 

おそらくの話で申し訳ないが、

生徒にとっても、先生にとってもマイナスな状態だと思っている。

どういうことかというと、

生徒にとっては、家でゲームしたり遊んだりするほうが楽しいし、

先生にとっては宿題の問題を作ったり、宿題のチェックをしたりする必要があり、

時間が奪われるからだ。

win-winの関係ではなく、lose-loseのこの関係性の中でも

学校教育は従来通りあり続ける必要があるのか考えることが最近多い。

 

 

学校教育の本質は何か?

ひと言で言えば、

 

将来の選択肢を広げてあげること

 

これに尽きるのかなと思った。

詳細、深堀するために以下2つの点を押さえておく。

①コミュニケーション能力

②業務遂行能力(責任感)

 

まず①コミュニケーション能力について、

転職活動などをしていた時によく思ったのは、

「コミュニケーション能力」が最重要視されていること。

つまり仕事をする、いや労働者として身を企業に捧げる場合は、

コミュニケーション能力が非常に大切になる、必要とされる。

コミュニケーション能力を伸ばす最大の方法は、会話をたくさんすることであり、

多くの人間が存在するコミュニティでは特に効果を得やすい。

能力を伸ばすという意味でも、様々な人がいるという、つまり視野を広げる意味でも

小さい頃からコミュニティに所属させるというのは大切なことなんじゃないかと思う。

 

いやいや、将来は芸能の世界で…とか、パソコン画面に向き合って一人黙々と

プログラムを組んでいくもん!

とか、そんな反論もあると思うし、小さい子ほど夢をしっかり持つので

そういった野望や将来を見据えたことを言うと思う。

自分の人生に自分で責任を持てれば、ぜひ好きなようにやって欲しい。

大人になるとわかるという残酷な話だが、

小学生からの夢をかなえられる人はほんの一握りだ。

将来はどうなるか分からないからこそ、選択肢を増やすべきなんだと思っている。

だから、選択肢を増やすための一つ大きな方法として

コミュニケーション能力を伸ばすことがあると思う。

どんな大学を出ようと、高卒だろうと、集団の中でうまく立ち回れる人が上に行くし、

「人」というものを見つめられないと、社会では成功しない気がしている。

 

そして②業務遂行能力について

就職活動の際に思うのは、

責任もって自分の仕事を全うするというスキルが2番目に重要視されている。

大小問わず、プロジェクトを途中で投げ出すようなものなら

他の社員へ大迷惑がかかる。

協調性、思いやり、そういった綺麗事のような言葉が生きる上での真理だったりする。

困難に直面してもやり遂げるという遂行能力は、

個人事業主でも労働者でも必要になるスキルであると思っている。

「やりたくないけど、やる」が自分の芯を強くしていくのかなと

最近思ったりする。

「好きなことだけして生きていける」世の中になってきたとメディアやらが言うせいで

わがままな人間が増えてきたのかなと思うことがある。

SNSを中心に。

我慢できない人間が増えていき、皆が生きづらい世の中になってしまう、

つまりわがまま人間のせいで、世の中が複雑化しているように見えてきて、

皆が結局生きづらくなっているように感じる。

教育の現場で、嫌でも頑張る子たちをサポートしてあげて、

将来の優しい日本を生むための種を蒔いてあげて欲しいと思う。

大変な時に頑張る、責任持って頑張る、

そして頑張る人をメンタル面で支えてあげることで

勘違い日本人を減らし、好循環の中でいい人材が増えていくのかなと思う。

「避妊失敗して子供出来ちゃった…責任取ったろ!」

「アクセル踏み間違えて人殺しちゃった…責任取ったろ!」

という不幸が減ることに少しだけ期待している。

平成後期あたりから、何だか弱い人間ばかりになってしまった気もする。

 

学校教育の本質はコミュニティに属して、仕事を全うする

社会にとりあえずポジティブ面を寄与できる人になるための人材育成の場なんだ。

コミュニケーション能力と業務遂行能力があれば大抵のことは上手くいく。

だから子供は「いいから(とりあえず)学校行っときなさい!」と言われるのだ。

 

 

ちょっと宿題の話。

大学卒業までにやりたいことが見つかり、人生に対して覚悟を持って

夢を追いかけれるようになれればそれがベストだと思う。

小学校→中学校→高校と進路を決めるのも選択肢を増やすことと関わると思うし、

進路のために「とりあえず宿題出したろ」があるのだと思う。

(あとは教育委員会からの圧とか…??笑)

「選択肢増えるかもしれないから一応やっとけ」という呪文で召喚された猛獣が

「宿題」なんだと思う。

こんな見えるようでよく見えない可能性のために毎日時間割いて

家で勉強するのかと考えると文句が出る気持ちもわかるなぁ…。

大人になって思うのは、学生時代にやった学問というのは

答えが決まっていて、ある種「クイズ」みたいなものだと思う。

成績やらそういった同級生との相対評価に悩まされて嫌になっているのだと思う。

純粋に問題だけに向き合う、クイズ方式で12年間楽しく勉強できれば

いいのになと今になると思う。

クイズじゃなくても、踊りながらとか楽しく覚えられる宿題があればな…。

 

 

 

書き疲れたのでこの辺で閉じようかな。